最近、「推し活の投げ銭で自己破産」というニュースを見ました。
もちろん、趣味の世界なので他人がどうこう言うべきではないと思います。
推し活は多くの人にとって、日々の楽しみであり、生きる活力でもあるからです。
ただ、そのニュースを見て、少しだけ自分の過去を思い出しました。
実は私自身、昔は風俗にかなりお金を使っていました。
当時は楽しかったのですが、今振り返ると「かなりの額を使ってしまったな」と思います。
その時間がすべて無駄だったとは思いません。
しかし、もし今の自分が当時の自分にアドバイスできるなら、こう言うと思います。
「もっと別の楽しみ方もあったんじゃないか」
その一つの選択肢として、ラブドールという存在があります。
推し活の本質は「応援すること」
推し活とは、誰かを応援する文化です。
- アイドルを応援する
- アニメキャラクターを応援する
- VTuberを応援する
その気持ちはとてもよく分かります。
好きな存在がいることで、日々の生活が楽しくなるからです。
ただ一つだけ、冷静に考えると事実があります。
推している相手は基本的に「他人」であるということです。
どれだけ応援しても、その距離が縮まることはほとんどありません。
ラブドールを「推し」にするという発想
ここで少し視点を変えてみると、ラブドールという存在は少し違った関係になります。
ラブドールは、一度迎えるとずっと同じ場所にいます。
離れることもありません。
例えば、
- 服を選んであげる
- 髪型を整えてあげる
- 部屋に置いて一緒に過ごす
こうしたことをしていると、まるで「自分の推しを育てている」ような感覚になる人もいると思います。
アイドルのグッズを集めるのと同じように、衣装や小物を選ぶ楽しみもあります。
そして、画面の中の存在とは違い、同じ空間にいるという感覚があります。
お金の使い方という視点
推し活そのものが悪いわけではありません。
ただ、お金の使い方にはいろいろな形があります。
イベントや投げ銭に継続的にお金を使う楽しみ方もあれば、一度大きな買い物をして、長く楽しむという考え方もあります。
ラブドールは、後者の楽しみ方に近い存在かもしれません。
もちろん、誰にでも向いているわけではありません。
ですが、孤独な夜を少し落ち着かせる存在になる可能性はあります。
ラブドールは癒しになるのか
このブログのテーマは、**「ラブドールは癒しになるのか」**です。
まだ答えは出ていません。
しかし、推し活という視点から見ると、ラブドールという存在には少し違った意味があるように感じます。
誰かを応援する楽しさ。
そして、同じ空間にある安心。
その両方をどう捉えるかは、人それぞれです。
このブログでは、そうした視点も含めて、ラブドールという存在を少しずつ言葉にしていきたいと思っています。


